あなたにとって平成はどんな時代でしたか?

5月から新しい年号「令和」になりますね。何かを始めるには良いきっかけの年になりそうです!

今日は私の平成を振り返ってみたいと思います。

私の平成時代の衝撃的なことは、19歳の時家庭内がぐちゃぐちゃになり家族崩壊事件があって、北海道の田舎から東京へ家出をしてきました。死にたいと思ったけれど死にきれず、家庭内のパイプ役になっていた私がいなくなれば何かが変わるんじゃないかと家を飛び出しました。19歳の私が本気で家族のことを思っての行動だったのです。

カバンに2,3日分の着替えを詰めて、玄関に20枚くらいの書き置きを残し、飛行機に乗ったあのとき心臓がバクバクして口から飛び出しそうでした。携帯電話などない時代、死ぬ気になれば何だって出来ると勇気を振り絞って出てきてみると、東京の人はみんな優しくて暖かかった。「東京の人は冷たいって言ったの誰だ!」って思いました。

死ぬ気どころか「元気なら何だって出来る!」東京は私にそう思わせてくれました。そこから私のチャレンジは始まりました。

まず、最初に乗ったタクシーのおじさんのお蔭でビジネスホテルに泊まることができ、家を探しボロボロのアパートを見つけ、布団を買い、電話線を引き、バイト先を見つけ、正社員にしてもらい、さらにこっそり掃除のバイトもし、お金を貯めて映画の専門学校へ行き、昼は学校、夜は赤坂でスーパーの夜社員として働き、卒業後カラオケの映像制作会社で働き、そこで出会ったヘアメイクさんの仕事に魅了され、仕事を辞め昼は保険会社の正社員として営業、夜はこっそりラーメン屋でバイトをしてヘアメイクの道を模索し、なぜか銀座の高級エステで仕事をし、その後友達の紹介でヘアメイク&かつらの会社で「掃除でも何でもしますので・・・!」と勢いだけで入れてもらい、「結髪(時代劇などの日本髪を結う)」という仕事に出会い、その道へ進むといろんな番組のかつら(例えばものまね・笑点・再現・ドラマ・・・)を作ったり、バレエ・舞台・映画・CMなど次々に仕事が舞い込んできて、忙しくて眠くて(目を開けたまま眠る技も身についた)辛いこともあったけど、乗り越えるたびに面白くなって・・・を繰り返していました。

そして平成11年11月11日、その日を結婚記念日にしよう!その日につきあっている人がいたらそれは運命の人だ!と勝手に決めていた私は、今の主人と結婚しました。主人にうっかり「肩や腰が辛い」と言ったら「仕事辞めて家庭に入れば・・・」と言われ、「えっ!自分でお金稼がなくていいの?」と驚きました。私にとっては衝撃で有難すぎる言葉でした。

仕事は楽しかったのですが、肩や腰から血が噴き出しているのではないかと思うほど辛い日もあったので、思い切って仕事を辞めました。そして主婦業を始めたところ狭いアパートでの掃除・洗濯・料理などすぐ終わってしまい、1円でも安いスーパーを見つけては自転車でどこまでも買いに行ったり、収納術などを実践したり、お金がなかったので料理も工夫しました。主人の稼いだお金から自分の治療費を出すなんて出来なくて、暇も持て余していたので近所のすし屋でパートを始めました。すし屋ではいつしか誰よりも早く寿司が巻けるようになり、レジもスーパーで働いていたことが役に立ちすぐに覚えました。

そんな時妊娠したので「やったー!これからは子育てだぁ~!」とワクワクしてうれしくてうれしくて、恐ろしいほど舞い上がっていたら流産してしまいその後なかなか授かりませんでした。そんな時以前勤めていたかつらの会社から「忙しいのでパートで手伝ってほしい」と言われ、好きな仕事なのでまた働かせてもらうことに。ついでに美容専門学校の通信教育を始め、不妊治療も始めました。

そんなある日仕事が忙しくなり、私はパートどころかリーダーのようにどんどん働き、いつしか主婦業が疎かになり主人より稼いだ月もありました。外食が多くなり家の掃除が出来ていないと後ろめたい気持ちでいっぱいになり、イライラして主人とケンカになり「私だって稼いでるんだよ!」って言いそうになったとき、「仕事辞めて家庭に入れば?」と主人が言ってくれた時のことを思い出しました。私は今何のために働いているのだろう?と我に返り、楽しかった仕事を思い切ってやめ、ものすごく忙しい時だけ手伝わせてもらうことにしました。

すると、母がガンであることがわかりしばらく北海道へ行ったり来たりが続きました。3年半ほど経ち母は63歳でこの世を去りました。そして私は健康って何だろう?人生って何なんだろう?と思い、悲しみの中不妊治療を辞め、まず自分のツライ身体を何とかしようと整体の学校へ行き勉強を始めました。そこで面白くなり整体院で3年働きました。すると何年も毎週通ってくるお客さん達はいつ肩こりが治るんだろう?これでいいのだろうか?・・・・と疑問が湧いてきたところ、3・11の地震がありました。人はいつ死ぬかわかりません。本当に実感させられました。だからこそ今自分に出来ることをやろうと思い、疑問を追究することにしました。

そして、寺子屋のような小さな整体塾を見つけ学び直し、世間の常識はズレている・・・というか真逆なことが多いことに気付かされ、それも伝えたくて独立開業をしました。整体師になりたかったわけじゃないけれど、ツライ自分の身体と向き合って行くために学んだことが、誰かの役に立つのではないかと思ったのです。身体は自分で変えようとすればいくらでも変わります。私自身まだまだ変えていきます。理想の自分を持っていれば必ずそこへ辿り着く道はあると私は信じています。

私の平成時代はチャレンジの時代でした。細かく書けばあと20個くらいチャレンジしたことがあります(笑)。

この経験でわかったことは私はチャレンジすることが好きなんだということ。こうして一度過去を振り返って書き出してみると、自分の好きなことや得意なことが見えてきますよね。時代が変わるので今までの常識を一旦取っ払い、生き方や働き方を変えたい人は勇気を出す大チャンスかもしれません。

今の私の仕事は「整体師」となっておりますが、令和時代はこれまでの経験とこれからチャレンジすることも生かしながら、皆さんのスーパーアドバイザー&スペシャルサポーターになりたいと考えております。実はここだけの話、すでに主人からはスーパーアドバイザー&スペシャルサポーターとしての報酬を頂いております。給料の○○%なので主人の給料が上がれば私の報酬も上がるので全力で勤めています(笑)。

「どんな自分でいたいのか」さえ決まっていれば毎日それに向かって生活するだけなので、「決める」って面倒だけど決めちゃえば自然にそういうなるってことだと思います。

ちなみに昨日は合気道の昇級審査でした。1年前には出来なかったことが「出来るようになる」と決めて毎日を過ごしていたら、なんとか出来るようになって昇級出来ました。

「決める」ってすごいことだと思っていましたが、そうでもないんです。「ご飯を食べる」って決めると食べるし、「7時に起きる」って決めると起きますよね。だから決めたら出来るんです。不思議なようで不思議ではないんですね。いろんな経験をしてそれに気づきました。

まだまだ書きたいことはありますが、長くなったので今日はこの辺で。

読んで頂きありがとうございました。(*^_^*)

 

では、また。^^。

 

 

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